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モドック郡 (カリフォルニア州) : ミニ英和和英辞書
モドック郡 (カリフォルニア州)[もどっくぐん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぐん]
 【名詞】 1. country 2. district 
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

モドック郡 (カリフォルニア州) : ウィキペディア日本語版
モドック郡 (カリフォルニア州)[もどっくぐん]

モドック郡()は、アメリカ合衆国カリフォルニア州の北東隅に位置する郡であり、北はオレゴン州、東はネバダ州との州境に位置する。2000年国勢調査での人口は9,449人だったが、2010年では9,686人と2.5%増加した。現在の郡庁所在地アルトゥラスであり、郡内では唯一法人化された都市である。以前はレイクシティやセンタービルに郡庁所在地があったが、特にセンタービルは現在ゴーストタウンになっている。郡の公式スローガンは「最後の最良の場所」および「西部が今も生きている場所」である。
モドック郡の領域の大部分は連邦政府所有地である。アメリカ合衆国森林局、土地管理局、国立公園局、インディアン問題管理局および魚類野生生物管理局など幾つかの連邦政府機関があり、郡経済のかなりの部分を構成し、田園地域にサービスを提供している。
モドック郡はカリフォルニア州で唯一オレゴン州ネバダ州に接する郡であり、合衆国の州に2つ以上接していることでは州内で2つしかない郡の1つである。もう1つは州南部にあるサンバーナーディーノ郡で、ネバダ州とアリゾナ州に接している。
== 歴史 ==
モドック郡となった地域にヨーロッパ人が訪れる以前はインディアンが住んでいた。クラマス川水源地帯に住んだモドック族は北のオレゴンに住んだクラマス族から分かれた著名部族であり、郡名の元になった〔。郡内には他にもアチュマウィ族(あるいはピット族、ピット川の名前の元)とパイユート族という大きな部族がいた〔。この地域を訪れた最初のヨーロッパ人探検家は1846年のアメリカ人探検家ジョン・C・フレモントとその探検隊(キット・カーソンも入っていた)であり、アメリカン川とサクラメント川の合流点(現在サクラメント市がある)に近いサッター砦を出発したものだった〔。
地域のインディアンはヨーロッパ人による植民地化に激しく抵抗した〔Kyle, p. 217〕。1872年から1873年のモドック戦争、あるいはラバベッズ戦争では、現在ラバベッズ国立保護区となっている溶岩洞に隠れたかなり小さなモドック族戦士の一隊を、勢力では遙かに勝るアメリカ陸軍が捕まえられずに戦いが長引いた時に全国的な注目を浴びた〔Kyle, p. 218-219〕。この戦争はアメリカ政府がクラマス族からモドック族に属する土地を購入したという口実でモドック族をオレゴン州のクラマス・インディアン居留地に移動させようとした時に起こった。クラマス族の人々がモドック族は歓迎されないことを明らかにしたために、モドック族の中から居留地を離れる者がいた。キャプテン・ジャックの同伴者が休戦会議の席でエドワード・キャンビー将軍を射殺したことで、キャプテン・ジャックの要塞を包囲することになった。インディアンは包囲戦に不慣れであり、飢えて弱らされた後には降伏するしかなかった〔Kyle, p. 219〕。
カリフォルニア州の北側州境、すなわちモドック郡の北側境はメキシコ領だったときから北緯42度線とされていたが、西経120度線については信頼できる測量が行われていなかったために、北カリフォルニアの東側境界はモドック郡が設立される前に論争の対象になった。ユタ準州シエラネバダ山脈の稜線までの支配権を要求した。当時ワーナー山脈はシエラネバダ山脈の一部と考えられていたので、その場合はサプライズ・バレーまで含まれることになるはずだったが、カリフォルニア州はその要求を撥ね付けた。
1856年、ハネーレイク・バレーの住人が、西経120度線がそのバレーの西にあるものだとして、そこをユタ準州の中に入れ、さらにそこから分離してナタクアと呼ばれる準州を創ろうとした。そうするために子午線がある位置を考えると、ナタクアにはモドック郡も含まれることになっていた。1858年、ネバダ準州が現在のカーソンシティを州都にしてユタ準州からの分離に成功し、西経120度線が1863年に測量されるまでシエラネバダ山脈稜線地帯をその領域とした〔。
1864年にネバダが州に昇格した後、現在のモドック郡がある地域はシャスタ郡の域内とされ、その後1852年にシャスタ郡から分離創設されたシスキュー郡内とされた〔。モドック郡自体は、1874年2月17日に当時のニュートン・ブース州知事がカリフォルニア州法に署名した時に形成された。これはサプライズ・バレーの住人がシスキュー郡東部から新しい郡を創設する働きかけを行った結果だった〔Kyle, p. 216〕。郡の住人は郡名を決めるにあたって、その頃モドック族との戦闘で戦死していたエドワード・キャンビー将軍に因んで付けることを検討した。また「サミット」という名前も候補に上ったが、最終的に「モドック」に落ち着いた。
1871年にドリス・ブリッジ郵便局が開設され〔Durham, David L. (1998). California's Geographic Names: A Gazetteer of Historic and Modern Names of the State. Quill Driver Books. p. 351. ISBN 9781884995149〕、1874年にはこれがドリスビルに改名された。その年にモドック郡が創設されたとき、ドリスビルがその中央にあったので郡庁所在地になった。ただし、当時の人口ではアディンとシーダービルの方が大きな町だった。1876年、ドリスビルはスペイン語で「高地」を意味するアルトゥラスに改名された。1880年の国勢調査では、アルトゥラスの人口は148人だった。しかし、その後も入植が続き、1901年9月16日には公式に法人化され、郡内では唯一の法人化都市となった。

1870年代には郡内の開拓が積極的に始まり、木材、金、農業および鉄道産業が郡内に開拓者を惹き付けた。モドック郡はネバダ州からの開拓者を北のオレゴン・トレイルに誘導するラッセン・アップルゲイト・トレイルと、南のカリフォルニアセントラルヴァレーに誘導する道の交差点にあった。初期の開拓者の中にはドリス、ベリー、エセックス、シェアラー、トランボ、フラウアノイ、ポーランダー、キャンベルなどの一族がいた。
第二次世界大戦の時、ニューウェルの南、数千エーカーの土地が日系アメリカ人強制収容所であるトゥール湖戦時転住所として使われ、数千人の日系アメリカ人を一時的に収容した。ニューウェルを通るカリフォルニア州道139号線沿いに歴史標識が立てられている。トゥール湖は「隔離施設」としては最大のものだった。2005年11月8日、ダイアン・ファインスタイン上院議員がこの跡地を国定歴史史跡に指定することを要求した。2008年12月、ジョージ・W・ブッシュ大統領が、あたらしく指定する第二次世界大戦太平洋勇猛史跡国立記念碑9か所の1つにこの地を指定した。大陸48州のなかでは唯一の場所となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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